相続トラブルが勃発したのは、今年(令和6年)の4月30日。
(知らなかったが)、父が亡くなったのは3月13日。
今日は10月13日なので、もう7ヶ月も経つのですね!
事情を知らない人から見れば、「まだやってるの?」って感じ。
こちらも好きでやってる訳ではない。
そもそも、後妻が強欲すぎたのがいけなかったのです。
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第1話でも少し書きましたが、後妻との闘いのことばかり考えていたら、頭がおかしくなるので、適度に息抜きが必要です。
2年前から急に山登りに目覚め、月1回ぐらい、けっこう頻繁に低い山も少し高めの山も登っていました。相続トラブル勃発後、5月に安曇野、6月に尾瀬に行ったのを最後に、今年の夏は暑すぎて外に出る気が起こらず、気が付けば4か月もサボっていました💦
今年はいつまでも暑かったですが、10月に入り、急に秋らしく快適な気候になり、思い立って久しぶりにササっと低山を登ってきました。
4か月もサボるとダメですね…
何度か登ったことのある低山だから楽勝と思いきや、体が重い、足が上がらない、息が切れる、酸欠でめまいがする。
慣れた人が普通に行けば片道1時間ちょっとで登れる山が、まるで政治家の牛歩のように前に進めず、山頂まで1時間半もかかってしまった。
これはダメだ。
つまらない女(後妻)のせいで、仕事や私生活が疎かになっては本末転倒です。
相続トラブルはあくまでもオマケ。
仕事と私生活の楽しみを最優先にし、相続は余力ですね。
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この相続トラブルが勃発し、後妻の手口が徐々に判明し、正当なのも不正なのも合わせて後妻が持って行ってしまった金額がだいたい見えてきた頃(6月下旬)から、ずっと疑問に思っていたことが大きく2つ。
- この女は、なぜ、借りたお金を返そうとしないのだろう?
- 75歳にもなって、なぜこんなにお金に執着するのだろう?
生活費の大半を父が支払っていたようなので、後妻は自分でほとんどお金を出していない。父のサラリーマン時代の退職金、後妻の専従者給与、後妻の国民年金、勝手に持ち出して返さない銀行融資をあわせると、おそらく2億円ぐらいになるはず。
いくら人生100年時代と言えど、75歳を過ぎると、体力が落ち、ボケが始まり、それまでと同じようには生活できなくなり、80歳を超えると、いよいよ先が見える人が大半じゃないかしら?
日本人女性の平均寿命が87歳らしいから、後妻はあと12年。
今後も毎年遺族年金が200万円ほど入るようだし、質素に生活するには十分な金額。2億円ものお金+遺族年金、あと12年で使い切ろうと思ったら、1年あたり1870万円も使うことになる。
普通に考えて、使い切れない金額。
余計なお世話ですが、ボケて体が動かなくなった老女が、いったい何に使うつもりなのだろうか?
そもそも、なぜこんなにお金に執着しているのだろう?
いま、戦中と戦後まもなくに生まれた人が、そろそろ寿命に到達し始めて、相続ならぬ「親の家」問題が日本じゅうで発生しています。
親が亡くなり、住んでいた家を片付けに行ったら、モノが溢れていて、何年かかっても片付かず、子どもが疲弊してしまう、という問題。私も今年の初め、夫の親の家問題(掃除・片付け)で疲れ果てました。
それもあり、今回の相続トラブルもあり、実母には「生きているうちに不要なものはしっかり捨てておいてよね!」と強く言ってあります。しかし、母は「捨てられない人」だから、きっと多くのゴミを残したまま、この世を去っていくのでしょう。(大迷惑)
さて、父は昭和16年生まれ(戦中)、後妻は昭和25年生まれ(戦後)。
高度成長期を経験しつつも、女性が今のように男性と対等にガンガン稼げるようになったのはつい最近のこと。男女雇用機会均等法が1986年施行され、実際に大卒女子に「総合職」という念願のポジションが生まれたのは3年後の1989年から。(私を含め)、鳴り物入りの総合職女子は男性社員からも一般職女子社員からも疎まれ、血を吐くような努力と私生活の犠牲を払い、あれから30年、やっと「男女でも食事は割り勘が当たり前」と若者が思ってくれる時代になりました。ほんと、長かった…😭
それ以前の女性の大半は、働いていても男性の補助的な役割しか与えられず、会社は結婚するまでの腰掛け、結婚して男性に養ってもらうのが当たり前、という考え方が標準装備でしたからね。
だから、自分に経済力がないことは承知しているので、できる限り稼ぎが多く安定している男性と結婚するのが第一目標。結婚後は、夫をATMとして利用するのは当然の権利。贈与税のかからないギリギリの金額まで毎年財産を自分に移転させ、ヘソクリをたくさん溜め込み、夫が亡き後も遺族年金が入り、自分が死ぬまで夫のお金で悠々自適生活。
まさに濡れ手に粟!
私より少し前までの女性の多くが、これが当たり前だと思っていた日本でしたからね。
(私と同年代でも、まだ8割ぐらいの女性が、昭和の古い因習を引きずっていたから)
なので、後妻がお金に執着する気持ちも、分からないではない。
(理解はするが、同意しませんけどね)
だからといって、2億円は貯めすぎだろー!!
と言うか、まず借金返してからだろー!!!
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お金を借りたら、返さなければいけないのは、小学生でも知っています。
返さない人はドロボーです。
返すお金がない人は、自己破産するしかなく、自分名義の財産はすべて没収されます。
これは借金した人が生きている場合の話であり、死んでしまうと借金は相続人に移転します。いきなり「親の借金を返せ」と言われたらビックリするだけなので、たいがい相続人は相続放棄します。
ここでひとつ疑問。
なぜ子供は親の借金を肩代わりしなければいけないの?
配偶者はまだ生きてるのに?
たしかに借金(融資)の名義は父親だが、後妻は父と「生計を一」としていた。
さらに、専従者として薬局の運営に携わり、薬局から給与をもらっていた。
(専従者とは、法人で言えば「役員・取締役」のような立場)
「生計を一」とは、日常生活の財産を共(共有)にすることです。
収入も支出も「共有」です。生活費は共同で出さなければいけないのです。
銀行取引明細から、父が大半の生活費を出していたことが判明しました。
仮に、その原資(生活費)が足りなくなって薬局の借入金(融資)に手を付けてしまったとしたら、その同一家計に所属する人が協力して融資を返済するのが道理です。
では、その同一家計に誰が所属していましたか?
父と後妻ですよね。
後妻も生活費として融資のお金を使っていた訳ですよ。
しっかり給与をもらっておきながら(収入があるのに)、生活費を出すのは夫、給料は私のもの、という理屈は通りません。
だから「まず、借りた金を返してから」と言っているのです。
借金を返そうとしない後妻は、ドロボーと同じです。
会社が銀行からお金を借りたら、返さなければいけないのは当然です。
言わなくても誰でも知っていることです。
会社のお金を役員が勝手に持って行ったり使い込みをしたら横領で、その人から返してもらわなければいけません。
それが、個人事業主の場合、専従者(=役員に相当)が使い込みや勝手に持って行ったのに、それを返すのは「法定相続人」だなんて、理屈に合わないですよね。
なんで、個人事業って、こんなに扱いがいい加減なんだろう?
インボイス制度で問題が表面化したように、消費税だってマトモに申告している事業主は少ないんだし、もう「個人事業主」なんて制度、なくしてしまえばいいのに。
江戸時代に「士農工商」というカースト制度がありました。
商人はいちばん身分が低かった。商売をする人は「卑しい人」だったのです。
なぜ「卑しい」のでしょう?
自分だけ得をすれば良いと思っている商人が多かったから?
たしかに、そんな利己主義・我利我利亡者の商人も多数いたでしょう。
でも、それじゃ周辺で関与する人たちは幸せにならない。
そこで、近江商人の経営理念「三方善し」の精神が生まれ、自分(売り手)だけでなく、買い手も満足し、社会貢献もできるのが良い商売、という考え方が広がりました。
この相続トラブルが始まって、たまたま読んでいた本。
『海賊と呼ばれた男』
2012年の出版で、今さらでスミマセン💦
言わずと知れた、出光興産の創業者をモデルにしている小説ですが、この創業者の精神が本当に素晴らしくて、読みながら感涙にむせび泣いたほどです。
特に感動したのは、
「○○(事業に対する大きな賭け)がダメだったら、一緒に乞食をやってくれるか?」みたいな話を奥さんにしている場面。(うろ覚えなので、正確性に欠ける部分はご容赦を)
商売は、時に大きく勝負に出ることもあります。
上手くいけば利益を生み出しますが、失敗すれば借金が残ります。
その借金を返済するために、私財を全て売って一文無しからリスタートするぐらいの心づもりを常に持っており、奥さんも腹心の部下も同じスタンスを共有していた、ということです。
決して「借金は相続人に押し付けよう」とは言っていません!
そんなこと言ってたら、このような英雄譚は生まれませんから(爆笑)
出光の創業者ほどでなくても、マトモな経営者なら、みな同じような考え方です。
自分の発言・行動に最後まで責任を持つ、ということ。
そこには当然、借金も含まれており、「借りた金は絶対に返済」します。
その責任(借金返済)を果たすため、むやみに経費を使わず、会社のお金は正しく管理し、借金残高に相当するぐらいの資産(現金や現金等価物)を残しておきます。
決して「節税・相続対策のため、多額の専従者給与を払って資金を移動させてしまえ」なんてことはしません。まず借金を返してからです。
(これを指南する税理士も、とんでもない悪人ですけどね)
何を言いたいか、分かりますね?
父と後妻は、商売人として、まるでなっていなかったのです。
特に後妻!
父は薬剤師業務に専念するのは良いが、経営を後妻に任せっきりにしていたのが元凶の始まり。
本来、経営者の右腕として会社を守るべく経理(=番頭)であったはずの後妻は、如何にして自分の懐にお金を移動させるかしか考えていなかった。
父はお金の管理は後妻に任せっきりで責任放棄
後妻は「私は経営者じゃない」と逃げて責任放棄
責任を取る人がどこにもいない組織は、もはや社会の害悪でしかない。
まあ、出光興産と同じレベルは求めていません、もちろん。
でもね、私も商売をする人間ですから、こんなスタンスで持ち逃げしたお金を返さず、我々他の相続人に責任を押し付けようとする後妻が許せないのですよね。
小学生でも知っている「借りたお金は返さなければいけない」。
これを全うしないで、他者に責任を負わせようとする後妻。
後妻には娘と息子がおり、孫もいるようです。
子どもや孫に対して、恥ずかしくないのでしょうか?
子どもや孫がこの事実を知ったら、どう思うでしょうかね?
それとも、意地汚い後妻の子どもや孫なので、同様に意地汚いのでしょうか?
ずっと気になっていた点でした。
(日本なら)武士道、(ヨーロッパなら)騎士道。
経営哲学、経営理念。
そして美学。
いくらお金があり、ブランド物で着飾って、外車に乗って自慢気にしていても、責任を果たそうとしない利己主義な人は、誰からも相手にされません。せいぜい持っているお金に同類の人たちが群がってチヤホヤ持ち上げて使わせて、お金がなくなったらサッサと立ち去るだけです。
美学を持たない人間に魅力なし。
世の中にはお金以上に楽しいことはたくさんあり、若い時には分からなくても、年を重ねるごとに「お金よりも大切なもの」が見えてくるものです。
75歳にもなって、どんな手を使ってもお金をむしり取ることばかり考えて生きているのは、哀れな人だと思いました。
脱線その①でした。
ここに至るまでに実務的な作業をしつつも、こういった余談もたくさん出てくるので、時々脱線させますね。
続く