相続:後妻はこうして父の財産を喰い尽くした

後妻 vs. 前妻の子ども 実践編

脱線その②:看護記録が教えてくれたこと

相続トラブルで、後妻の使い込みを暴こうと、あらゆる思考を巡らせ戦い続けておりますが、そこで得る情報や関わった人たちから、気持ちがホッコリする出来事にも時々出会えます。

 

病院カルテ開示は、もともと父の死亡に不審な点がなかったかと、認知症の発症時期の確認、入院・施設入所の時期を確認するために取り寄せました。
実のところ、届いたカルテを見ても、検査の際の画像や医学的な記述は、シロウトの私にはあまり理解できないもので、軽く斜め読みしかしていません。
ただ、ひとつだけ、何度か読み返したものがありました。
看護記録」です。

 

はじめはカルテの読み方がよく分からず、流すように目を通していたのですが、その中に、ふと「わかるよ」「おいしい」「かゆい」「だるい、しんどい」などの短い会話文が目につきました。
それで、もう一度、注意深く読んでみると、どうやらこれは、父が発した言葉だと分かった。その下に必ずO、A、Pと何かの記述が続くので、調べて見ると、「SOAP」という看護記録の技法のようで、「Subject(主観的情報)」、「Object(客観的情報)」、「Assessment(評価)」、「Plan(計画)」の順に体系立てて診療の情報を記載する方法のようです。
(↓↓ 参考になるリンクを貼っておきます)

【事例付き】SOAPとは? SOAPに沿ったカルテの書き方からSOAPを利用するメリットを解説! | CLINICS(クリニクス)

 

私は会社経営しているので、PDCASWOT(分析)は知っていたが、医学の世界には、こういうのもあるのかと、新たな発見です。

 

特に「S」が患者本人が発する言葉や様子など。
入院中の病室で、看護師さんからの問いかけや声かけに応答したり、しなかったり。
短い応答であっても、その受け答えに父らしさを感じ、子供の頃の記憶が蘇ってきて、ホロリときました。

 

・(生年月日は?)3月6日か。11月か、そうかもしれん。
 (年齢)70どんだけや。そうかもしれん

・(退院したら何がしたい)晩ご飯食べたい

入院初期の頃は、記憶があいまいながらも、応答から穏やかに過ごしている様子がうかがえましたが、

・かゆくて、生きていてもいいことないな

入院から2ヶ月ほどして、オムツがよほど痒かったのでしょう、こんな弱気な発言を見つけた時には涙が出ました。

・そうだね、飲まないとだね。ありがとう。
 そうだね、レスタミンは一番いいね。すーっとするわ。

痒みに対応する薬を処方されたときの発言、ボケても薬剤師だなと思わせます。
以前、まだ父とも交流があり、祖父が生きていた時、祖父も認知症でしたが、あるとき、「数えておいた」と、テーブルの上にメモ用紙をキレイにまとめて置いていたらしいのです。祖父は銀行員だったので、その頃の(お札を数える)習慣がボケて出てしまったのでしょうね。父も長年培った薬の知識が、こんな状態でもスルっと出てくるのだなと感心するし、誇らしくも思いました。

その後、病院から介護施設に移り、そこでも介護記録が残されており、病院ほどのボリュームはないものの、ときおり父の発言が記載されていました。

・こんにちは、今日は大晦日だね。(12月31日にケアマネが父に挨拶した際の会話)

・元気にしている。(2月29日、父の最後の発言)

その後、3月5日に意識がなくなり病院に救急搬送、心不全で3月13日に病院で亡くなったようです。

 

このブログの序章でも書いたように、私たち前妻の子どもは、後妻の邪魔もあり、父とは20年ほど交流を持てていませんでした。
私が最後に見た父はまだ60代半ばで、サラリーマンを辞めて始めた薬局が面白いようで、「瘦せる薬とか言ってるが、あんなのぜんぜん効かん。患者には言えんけど」なんて冗談まじりで笑わせてくれることも。交流が途絶える直前には、一緒にスキーに行ったこともあり、足腰が多少衰えてきていたからか、リフトに乗ろうとしてズリ落ちて、リフトを止めてしまった恥ずかしい記憶も思い出しました。父はカメラと車が趣味で(他にも趣味はたくさん)、後妻に内緒でドライブに行ったこともある。なぜ内緒にしなきゃいけないのか、実の娘なんだから、もっと堂々とすれば良かったのに、それぐらいに後妻は私たち前妻の子ども、特に私を目の敵にしていたのです。

 

そういう経緯もあり、認知症で入院・入所も知らされず、危篤も知らされず、葬式にも呼ばれず、実の子どもとして遣り切れない気持ちを抱えていました。
そんな中で、この看護記録・介護記録から、父の最後の様子を少しでも知ることができ、発言から父らしさを思い出し、後妻との戦いで荒んだ気持ちを和らげてくれる一筋の光明となりました。

 

そういう意味でも、カルテ開示は重要な役割を果たしてくれました

 

その後、もっと時間軸が後になってからですが、認知症初期にお世話になっていたデイケアの施設の方から、「お父さんが映っている写真がいくつかあるから、お分けしましょうか?」と申し出てくれて、お言葉に甘え、送っていただきました。

入院・入所の1年前なので、まだ寝たきりではなく、施設で楽しそうに過ごしている姿です。
あとでセレモニーホールにお願いして送ってもらった遺影の写真は、シワやシミなど修正が入って少々サイボーグちっくな感じがしましたが、施設からいただいた写真は無修正なので、晩年の父の様子がよく分かりました。笑ったり、変顔したり、施設のお祭りでハチマキを巻いてもらったり、楽しそうな姿に安堵しました。

 

病院でも、介護施設でも、良くしてもらい、スタッフの皆さんには本当に感謝です。
認知症という厄介な患者を相手に、根気強く対応するのは、並大抵の苦労ではないと推測します。後妻のようにお金目当てではできないこと。
医療・介護の現場の皆さんには、この場を借りて、あらためて御礼を申し上げます。

 

相続トラブルと聞けば、「財産争いをしてるんじゃない?どっちも浅ましいわね」と思われがちですが、本来の相続って、お金の問題じゃないですよね。
故人を偲び、在りし日を語りあい、故人に対する気持ちの整理、踏ん切りをつけるための一連の流れが相続のはずです。
その大切な機会を奪われた私たち前妻の子ども。

もしも最初に相談した弁護士の言うとおり「ソク放棄」していたら、このように父の晩年の様子を知ることもできなかったので、辛い作業の連続ではあったけど、真実を追及する道を選んで良かったと思います😌

 

その追及作業はまだまだ続きます。